対話をめぐる冒険002

先日、4月13日に、待望の村上春樹さんの新作「街とその不確かな壁」が発売されました…!

村上さんの書かれる本が大好きな私は、発売日当日、期待に胸を膨らませ、棚置きされている本に手を伸ばし、しばし表面を眺めてからレジへ。大好きな本を手にするときの高揚感はやはり良いものです。家が手狭になり、ほとんどの書籍をkindleで買うようになった今でも、村上さんの本は単行本で、と思ってしまいます(その代わり、通勤バックはパンパンでずっしり重いのですが…)。そんな感じで、少しずつ本を読み進めています。

村上さんの本には、多くの対話が出てきます。暗闇の中で、明るい夏の日差しの中で、流れる川の傍で。スピードはゆっくり、しばし相手が感情的になり、話ができなくなることもあります。そんな時、主人公はじっと耳を澄ませ、その意味を確かめようとします。

語り、聴くということ。自分の推察を入れないこと。自分がわからないこと思ったことは聞き返すこと(何しろ村上さんの本の中では、対話の相手として異星人やお酒のシンボルマークになっている人も出てきます)。対話を丸ごと、手で触れ、五感で感じること。

二人の間で物語が出来上がり、そこには何かしら特別な意味が生じること。でもそれはその関係性の中でのみ成り立つこと。

自分が村上さんの文章にひかれ続けるのは、そんな対話のあり方に強いあこがれをもっているからなのかと思います。

診療の中では、いかに効率的に、相手の言葉を理解し、妥当な結論を出すのかが求められることがあります。

カルテの書き方も、診断をつけ、他の人が読んでもわかることが前提であり、内容をサマリーに起こし、冗長であればそれは「読みにくいカルテ」になります。

しかし、その過程の中で、自分自身と相手の方の間に生じた、言葉で表現することができない息遣い、悲しみ、苦しみなどの感情はそぎ落とされてしまうように感じます。

村上さんの本では、急に対話の相手がいなくなってしまう、ということがあります。それは二人の物語の喪失であり、ある一つの小さな社会がなくなったということでもあります。

対話が治療的であるとするならば、継続すること、関係が続くことが前提であるになるのかな、とも思いました。

…などなど徒然に書き続けましたが、引き続き、しばらくは村上さんの世界に浸ろうと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です