an artist’s way 004 読書会というコミュニティ

今年4月から、だいたいひと月に1回、「『治療的会話』深掘り読書会」という読書会を行っています。きっかけは、小文字で始まるオープンダイアローグ(open dialogue)は「治療的会話(therapeutic conversation)」と呼ばれることと同義なんだろうなと漠然と捉えているものの、自分のなかで整理しきれていないというか、そもそも治療的会話とは何か?しっくりくる説明ができないでいたことがあります。こうした関心を共有できる人たちと一緒に探求する会ができないだろうか、と思ったのでした。

「勉強会」ではなく、「読書会」を選んだのは、「勉強会」だと講師を招いてお話しを聴くという発想になりがちだと思ったのです。それもいいけれど、私は直接「原典」に当たりたい派なので、文献を読む会がいいなと思いました。だったら一人で読めばいいじゃない、という考えもあるとは思うのですけれど、そして確かに一人でも文献は読めるけれど、自分の狭い観方をなかなか超えられないと思うのです。自分の枠を超えられるようなダイナミズムが欲しい、読書会ってどうかしら?と、そういう発想でした。

実は私自身はこれまで「読書会」って参加したことも主催したこともなかったので他ではどのようなやり方をしているかは知らないのですが、名前からして文献(書物)を一緒に読み、自分の理解や考えを言葉にし、参加者間で聴きあう会だろうと想像しました。

「『治療的会話』深掘り読書会」は、文献を輪読すること、参加者間で各自の疑問、理解、考え、想起される経験についてそれぞれが言葉にして共有します。そのプロセスのなかで、open dialogue=therapeutic conversationの本質的なところを探究してみようという試みです。そして、この読書会は、参加者がお互いの経験や考えを語り合い、聴きあうことで、気づき合い、学び合う、小さな共同体(コミュニティ)となっています。今日(10/8)読書会があって、参加者のみなさんのお話を聴くなかで、そう気づくことができました。

いまは、Jaakko SeikkulaとDavid Trimble著、久野恵理訳の『治療的会話における癒しの要素:対話は愛の具体的な姿である』を読んでいます。2005年にFamily Processという国際誌に掲載されたこの論文と向き合い、自分の経験や理解を口にすること、他の方々の考えや理解を聴くことで、一人で読んでいたときには重要視していなかったことに着目したり、異なる視点を知ることができたりするのがとてもおもしろいのです。私にとっては、この学びのプロセスそのものがとても貴重な機会となっています。