an artist’s way 003

「死」は存在しないという話

昨日、久しぶりに本屋さんに行きました。買いたい本があったわけではなく、なんとなく行きたくなったのでお散歩するような気分で行ってきました。そこで目についた本を手に取ってみると、田坂広志さんの『死は存在しない』(光文社新書)というタイトルの本でした。以前に田坂さんのご講演を聴いたことがあり、『複雑系の知』(講談社)も読んだことがあったので、これは「呼ばれたのかも―!」と思ってさっそく購入。

田坂さんは、現代科学では未だ解明されていない「不思議な体験」や「死」について、「ゼロ・ポイント・フィールド仮説」(イギリスの理論物理学者ロジャー・ペンローズ氏により提唱された仮説)に基づいて論じています。

この仮説では、宇宙に普遍的に存在する「量子真空」の中に、この宇宙のすべての出来事のすべての情報が「波動情報」として「ホログラム原理」で記録されている場があり、その「場」が「ゼロ・ポイント・フィールド」であるといいます。

読みながら、そういえば・・・と、思い出したことがいろいろとありました。

15年ほど前に、アーヴィン・ラズロの「生ける宇宙 科学による万物の一貫性の発見」(日本教文社)という本と出会いました。そこには、「宇宙は、そのなかに存在する全てのものと共に、生物にも似た一貫性を持つ一つの総体をなしているという洞察」(p2)が最先端科学によって示されていると書かれており、ゼロ・ポイント・フィールドとヒンドゥー教の宇宙観にある「アーカーシャ(虚空)」や、アリストテレス、神智学や人智学の論が引用され、量子真空は、物事の歴史的な経験を記録するホログラフからなる情報(アカシック・レコード)場だと記述されています。ラズロは、この場を「アカシック・フィールド」と名づけています(p53)。

私は子どもの頃から「不思議な体験」をしたり、周囲の大人(親とか)から「不思議な体験」について聴くことが多かったように思います。肯定的な体験が多かったので、子どもの頃は「不思議な体験」というよりも、「守護されている体験」と思っていた気がします。

ユング心理学に「集合的無意識」という概念があります。無意識は個人的なものばかりではなく、より深い層においては超個人的な集合的内容を含んでいるという仮説です。私は若い頃に夢の分析をしばらく受けていたことがあり、その頃から夢日記をつけるようになりました。当時、私自身が抱えていた問題は解決しませんでしたが、夢分析を受ける前と後とで何が変わったかというと、人間って表面的に見えるよりもずっと深いのだなと思うようになりました。それは夢を通して私の知らない「私」がいることに気づいたからでした。

2015年の夏、日本で一番長いつり橋(静岡県島田市)を渡ったときのこと。途中で自分の視点が高くなっているのに気づきました。まるで背が高くなったような感じです。そのとき、「大いなる何かが私の目を通してこの景色を楽しんでいる」という思いが湧きました。一種の神秘体験だったのかなと思います。WRAP(元気回復行動プラン)のファシリテーター研修中の出来事で、シェアのときにこの話をしたら、数人が心配して「きっと大丈夫だよ」的なフォローをしてくれました(笑)。懐かしいです。

さて、本の方に戻ります。なぜ田坂さんは「死は存在しない」とおっしゃっているのか。

それは、死後、「我々の意識」は、どこまでも拡大していくからだといいます。そして、いずれは「宇宙意識」へと戻るのだと。

私はここ数年、身内の死が続いたことで、死と生について意識するようになりました。何か「わかった」わけではありません。ただ、私も、万物は「いちなるもの」から分かれたのだろうなと思っています。なので、孫悟空がどこまで行ってもお釈迦様の手のひらから出ていなかったというお話のように、どこまで分かれても私たち個の存在は一つの大いなる意識の内にあるのだろうなと感じます。私は特定宗教には帰依していませんので、これは何かの教えとかではなく(笑)、ただ、そんな感じがするという感覚的なものにすぎませんけれど。